
大鳳堂わたくし
インターネット美術館
2005年4月25日からスタートした絵画収集はお世話になった恩師や大切な友人が手掛けてくださった思い出深い作品たちです。
住まいの宮崎ゆかりの作品、宮崎ではめずらしい歌川広重の浮世絵、映画ポスター等、お財布にみあった欲しかった作品を気持ちの向くままに集めて参りました。
現在、大鳳堂わたくしインターネット美術館はオンラインのみで運営しております。
わたくし美術館の創始者尾崎正教の想いを受け継ぎ、自宅のワンスペースに「3点から5点の邂逅する作品があればそこはわたくし美術館」の考えをいただき、自宅の一室からはじめました。
「家庭環境の向上こそ鑑賞教育である」を指針に、芸術のチカラでよい風景を描くよう努めてまいります。

歌川広重 Hiroshige utagawa
雨の日も風の日も
ひたむきに生きてきた庶民の暮らし。
そんな広重の世界観、暮らしの素敵に気づかせてくれた作品に私はいつも励まされてきました。
略歴
幕末期に活躍した絵師・浮世絵師
1797年 江戸の定火消しの安藤家に生まれ家督を継ぎ、その後に浮世絵師となった。本名安藤鉄蔵。
1811年 歌川豊広に入門。
1812年 歌川広重の名を与えられた。
1858年 没。
広重の作品はゴッホやモネなど海外の画家たちにも多大な影響を与えました。

加藤正 Tadashi Kato
宮崎県立美術館で開催された「瑛九生誕100記念瑛九展」の催し物の席でご一緒させて頂いた加藤氏。晩年親交を頂き様々な経験を積ませて頂きました。
わたくしが加藤氏から学ばせていただいたことは以下の5つでした。
1. 立ち止まるくらいなら描きつづけろ
2.知り得たこと、手にした答えは惜しみなく横に渡せ
3. 美を見つめるまなざしはフェアとリベラルであれ
4.自分の世界観を持ちエッジをたてて生きていけ
5.燃えなさい、とことん
加藤正氏略歴
1926年 宮崎県串間市に生まれる
1950年 東京芸術大学油絵科卒業
瑛九氏等と東京にてデモクラート美術協会を設立し、第6回の美術展を開催。讀賣アンデパンダン展出品。
岡本太郎氏の主唱する国際アートクラブに参加。
選抜優秀未術店(朝日新聞主催)、東京国際版画ビエンナーレ展出品、現代美術の動向・その暗黒と光芒展出品(東京都立美術館主催)、戦後文化の軌跡展・新しい戦後美術像が見えてきた展(朝日新聞社主催)ほかに個展及びグループ展等毎年開催を続けている。
郷里宮阿崎でも2001年、新芸術家集団「フラクタス」を結成。
串間市文化会館の緞帳制作など。
宮崎県詩の会会員、元・萩原朔太郎研究会会員、元・造形大学講師
<著作>詩集『逆光線』、『瀧口修三の詩による版画集』
画集『仮面のエロス』、詩文集『存在する翼』

Q-ei / 瑛九
瑛九の力強さと奥様の都さんに憧れて蒐集をはじめました。
戦時中の物資の乏しかったころ、描きたくとも描けなかった時代背景とともに、益々自由へのあこがれを抱き、描くことをあきらめなかった瑛九。
既存の出来レースのような絵画展から、横のつながりも縦のつながりもみな平等である、そんな新しい文化革命をデモクラート美術家協会の仲間とともに構築しました。
略歴
1911年宮崎生まれ。本名・杉田秀夫。15歳で『アトリヱ』『みづゑ』など美術雑誌に評論を執筆。36年フォトデッサン作品集『眠りの理由』を刊行。37年自由美術家協会創立に参加。既成の画壇や公募団体を批判し、51年デモクラート美術家協会を創立。靉嘔、池田満寿夫、磯辺行久、河原温、細江英公ら若い作家たちに大きな影響を与えた。油彩、フォトデッサン、版画などに挑み、独自の世界を生み出す。60年48歳で永逝。

SHOICHI HUTAMI
二見 彰一
鈴木正道様からお譲りいただきました大沢昌助コレクションをご紹介させていただいてございます。
二見彰一略歴
大阪生れ。1967年春陽会研究賞を受賞。71~88年春陽会会員。73~2011年日本版画協会会員。ドイツ中心にヨーロッパで銅版画家として活躍する。11年神奈川県近代美術館で個展。13年静岡県立美術館で個展。(出典 わ眼)版

Audrey Hepburn
エレガントであり、チャーミングである彼女。
私生活や残された言葉の数々。
晩年は、ご自身の体験に基づきユニセフの活動に力を注がれました。
そんなオードリーに憧れて、お花づくりの参考資料にと取り寄せた映画ポスターがございます。
構図やフォントの美しさ、時代背景や香り立つ彼女の世界観をお楽しみくださいませ。